ニュースバリュー

昨日新幹線で移動をした。
いつもあまり不特定多数の人と会うことが無い環境にいるので、出勤時間に町中を歩いたり、新幹線に乗ったりすると、次から次へと知らない人が歩いているので新鮮な驚きがある。ずっと以前、これもラッシュアワーに神戸の地下鉄の駅で人の流れを見ていたことがあって、次から次へと違う顔の人が流れてくることに不思議な感覚を覚えたことがあった。アニメかなんかだと何人かおきに同じパターンの顔が出てくる所なんだろうけれど、必ず予想と違う顔をした人が電車から次々降りてくることを驚いたことがあった。それぞれの人に人格があり、それぞれの物語があり、それぞれの人間関係がある。それぞれに悩みがあり、それぞれにトラウマがある。不思議なことだと思う。

四国から出る前に一件、姫路辺りで一件、大阪で一件、「現在在来線で人身事故があり、列車が遅れています」と言うアナウンスがあった。姫路と大阪が同じもののことなのか、別件なのか判らない。人身事故と言っても色々な種類があるけれど、少なくとも数人の方の命が失われたのだと思う。ああ大変だなあ。と思った。
で、今朝。テレビをつけたら、ちょうど目に入ったニュースは、JRが停車駅でオーバーランしたので遅れが出たというニュースだった。ニュースは途中だったので、それ以前に触れたのかもしれないし、すぐ消してしまったので、それ以降に触れたのかもしれない。しかし、数人の命が列車事故で失われたことよりも、オーバーランの方がニュースとして取り上げられたのは事実であり、私はその事実に衝撃を受けた。
毎日毎日交通事故で十数人、鉄道事故で1〜2人、自殺者に至っては、毎日100人程が亡くなっている。その一件一件を重みを持って取り上げようと思えば、ニュース番組はその話ばかりになってしまう。けれども、その一人一人に人生があり、その一人一人の周りには悲しむ人が少なからず居り、その一軒一軒の背後に解決すべき社会的歪みがある。それに目が向けられないことは不幸なことだ。宗教はそこに目を向けなければならない筈だし、宗教こそがその歪みに手を差し伸べることができる筈であることが知られなければならない。