「暴風」について

グーグルが、10周年記念として期間限定「2001 Google search」というサービスを始めた(期間限定で、既にサービスは終了しているようです。2001年時点のグーグルのトップページで、当時の検索結果を表示できるっていうものでした)。試しに自分の本来の名前である「暴風神父」で検索してみると、自分が始めて作ったサイトがトップに出て来た。1999年の11月3日に日記を書き始め、2000年の8月20日に更新停止を宣言している。
そのサイトに、「暴風神父とは?」という文章があった。ちょっと力を入れて書いた文章だったので、気に入っていたのだが、HDに残っておらず、書き直す気力もなかったので、今までそれについて触れていなかったのだが、見つけたのを幸い、再掲する。

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tiger horse

もう28年も経っていて、当日もそれほど動揺せずに過ごすことができて、正直もうこのブログにも書かないでいいかなと思っていた。

昨日、ビルが崩壊するニュースを見ちゃって、瓦礫の山となったり、一回だけ潰れたりするビルを見ると、顔を顰めてしまう。

あの頃自分は、すぐ近くで燃えているビルの煙を見ながら助けに行けなかったのだけれど、「次にこんなことがあったらもっと上手に動こう」と心に言い聞かせていた。でも結局中越の時だって東北の時だって熊本の時だって、それこそウクライナでも、自分は何もできずに壊れたビルのニュースを見ている。

あの朝、小雪が舞って、水溜りに氷が張った。トルコでも雪が積もっている。明日の朝氷が張らないでいてほしい

あくまで一般論

1、ある「違い」についてその違いのゆえに社会的に弱者とされている層と、強者とされる層とが存在する

2、後者が前者を保護することが、結果的に前者を社会的に阻害することになる。

3、前者が後者に対して阻害を解消するように主張する

4、前者が後者と平等に扱われるように、保護ないし優位な扱いを受けるようになる

5、かえって逆差別ではないかと指摘され、そのような「違い」自体が指摘されるべきではないという議論になる

6、「違い」について指摘すること、その違いによって扱いに差を設けること自体がタブーとなる

7、「違い」から必要であった差に対する配慮がなくなる

8、弱者が不利益を被る

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