あくまで自分用にカテゴリー別の目次を作りました
気がついたら、こんなのが出来ていたので、自前の目次は削除しました。
最近の話
この所世間を騒がせている某男性アイドルと民放放送局の話
悪いことは償わなくてはいけないし、謝り方が下手なら謝らない方がマシということはその通り。
その上で、どうもこの数年くらいの週刊誌をきっかけにした芸能人などのスキャンダルを見ていて、あまり良い気持ちがしない。その理由が三つばかりあると思った。
1、罰は公平に法に則してなされるべき
過ちを犯した人を処罰するときは、あらゆる人に対して公平に適用される法に則して公平になされなければならない。有名税とかいうけれど、じゃあ今後私人になった彼には触れないのかといえば、そんなことはないでしょ。
そもそも、訴訟にすらなっていない、告訴も逮捕もされていない事象の関係者を、実名で報道するのは報道の自由を超えていて、人権を侵害している
2、有名人は清廉潔白でなければいけないのか
今回、これだけ事態が深刻になったのは、当人が出したコメントとテレビ局が行った会見のやり方と内容が火に油を注ぐ結果になったことは言うまでもない。
この所、特に企業や有名人が問題を起こすと、速やかに会見し、誰からも突っ込まれない会見をしなければならないと要求される。しかし、分からない事は分からないし、言えない事だってあって然るべきだ。
どうもこの所、有名人というものは、清廉潔白一点の曇りもなく、なんの落ち度もなく完璧な生活をし、対応ができなければいけないという風潮があるような気がする。それはあまり健全ではない。
問題発言だと思うけれど、そもそも芸能人なんてそんな綺麗な世界だと思ってるのかしら。まるで女性アイドルはトイレに行かないと真面目に言っているファンみたいだ。
3、処罰の目的は被害者救済か
こういう話をすると、「被害にあった人の傷や人権侵害は無視するのか」と言われるだろう。けれども、そこが根本的な問題で、刑罰は被害者救済を目的にすべきではない。被害者救済は被害者救済で十分に行われなければならないのは大前提だが、復讐的に加害者に危害を加えることで被害者の心情を回復させるのはできないし、してはならない。
被害者の救済はそれはそれで十分した上で、加害者への処罰は懲罰ではなく矯正を前提にすべき。
4、要するに悪趣味だ
まあ色々言ってるけど、この手の話は、昔からゴシップ雑誌に載ってたり、ネットの片隅で語られたりしていた。それは悪趣味なことだが、悪趣味なこととして陰でこそこそされていた。
そんな話が大々的に報道されて、しかも「炎上」するのは、ネット文化のなせるワザだと思う。しかしそれは、水に落ちた犬を叩くようなもので、はっきり言って悪趣味だ。悪趣味なことがまるで正義であるかのように大手を振ってまかり通るのはさらに悪趣味だ。
悪趣味を煮詰めて悪臭がぷんぷん漂うものを鼻先に突きつけられているようで不快だ。
定点観測2025
ここ数年「100分で名著」という番組をずっと視聴している。
今月は、阪神の震災で被災した(?)精神科医が自身の回復を記録した書籍を読むのだそうだ。
予告を見て、ちょっと見れないなと思った。
キリスト教では、「(特に神から)記憶されること」が、人の救い、喜びである。
逆に相手を覚えることは愛情だ。
だから忘れないように覚え続ける。
でも日本の仏教のように、一定期間覚えたら、そこで解放してもらっても良いのではないかと思う。
一定期間,忌みを負い抱擁の期間を過ごせば、そのあとは、個人の「仏様」ではなく個人関係から解消された「神々」に昇華させるのは良いのではないかと思う。
こっちが生きてる間負い続けるのかなあ