手遅れ過ぎ

教育基本法の改定案が参議院を通過した。ウチの教派では、先日、改定反対の声明を出した。先週末には、所属しているメーリンググループに反対署名を集めているサイトの紹介があって、みんな盛り上がってた。本人にばれたら怒られるだろうけど、無断で、一部抜粋。

署名というのは、どのくらい集まれば国会を動かす力になりうるのでしょうか。
詳しい方、ぜひご教授ください。

詳しくないけど、見当はつきます。教えましょうか?
集めて集まる程度の数の署名は、どのくらい集めても国会を動かす力にはなりません。

こんな記事もあった。
思うんだけれど、いわゆる市民運動をして、政府の政策に反対をしようと思っている人たちって、何でこんなに○○○○なんだろう(自主規制伏字)。わたしの感覚としては、一般市民が、署名だの抗議行動だので政府の行動を止めようという試みは、70年安保の時に挫折したことで方法としてもう既に終っていると思うのだけれど。いまだにそんな方法で、しかも、既に法案が提出されてからとか、それこそ衆議院を通過してからとか、どんなに声を挙げたって、何の影響力も与えられないに決まっていると思うのだけれど。。。
少なくとも現在の政治体制の下では、法律改正を止めるためには、法案を提出する与党側によほどの落ち度がない限り、与党内でその法案がまとまる以前に、与党執行部に一定以上の影響力を持つ力を背景に働き掛けなければならない。本来であれば、その一番大きな影響力は、選挙民の選挙行動、ないしはそのサンプルである世論である筈だが、与党全体を少なくとも過半数我に追い込むだけの力を持つと予想される世論を産みだし、それが次の選挙まで維持されるに違いないという確信を与えない限り、どれだけ署名を集めても、どれだけ世論調査の結果が内閣不支持に振れても、政府与党はむしろ自分たちの確信しているところに進むであろう事は明らかである。
どこの選挙民だか判らない一二万程度の署名なんぞ、何の影響力も持たない。一万人も居ない宗教団体の抗議声名も同様である。それは、民主党が通らないのを承知で不信任案を出したり、野党が採決されるのを承知で委員長席に詰め寄っているのと同じ、単なるアリバイ作りにしか過ぎない。
もし、本当に政治に影響力を持ちたいのであれば、某創○学会のように、政党を作り、第三党としてキャスティング・ボートをにぎるか、某遺○会のように、第一党の有力な支持組織になり、自分たちが法案を作る側になることであろう。
どちらも不可能な弱小勢力の日本のキリスト者は、その事実を認めるべきであろう。自分たちが考えているような「信教の自由」や「思想信条の自由」を共有できる人は、日本において極めて少数なのだ。
で、私たちができることといえば、一つは、その場その場で、その時の状況の中で、どのようにすれば、自分たちの「信教」や「思想信条」を維持できるか、知恵を巡らせること。もう一つは、将来を見据えて、極少数であっても、異なる考えを持ったものが居ることをアピールすることである。あれっ?って事は、今、聞き入れられるはずはないと知りつつも反対声明を出したり、反対の署名をしたりすることは意味あることなのかな?


例によって、以下、新聞記事の全文引用
教育基本法改正:学者ら反対声明 十分な議論なく拙速

 教育基本法改正案の審議で参考人などを務めた大学教授らが12日、参院議員会館(東京都)で会見を開き、「十分な議論のないまま拙速な採決に反対する」と訴えるアピール文を発表した。呼びかけ人の藤田英典国際基督教大教授は「改正法案は(国が国民に)『こんな人間になれ』と命令するものだ。教育現場に困難とゆがみをもたらす内容が盛り込まれており、極めてひどい法案だ」と批判した。

 高橋哲哉・東京大教授、尾木直樹・法政大教授ら計20人が賛同したアピール文では、改正の必要性が明確ではない▽改正により教育の諸問題が解決されるか明示されていない▽教育を競争主義的にし、子どもの成長・発達に今以上のゆがみを与えることなど8点の問題点を指摘した。

 また、インターネットでの署名活動もしており、約1万1000人の反対署名が集まっているという。【高山純二】

毎日新聞 2006年12月12日 18時38分