失言について

小沢さんが「排他的で独善的な宗教だ」と批判したとのこと。このことで幾つかのことを考えた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091110/stt0911102121020-n1.htm

キリスト教はもちろん独善的だ

キリスト教の特徴だと思うのは、客観的かつ実存的な価値基準の存在を想定すること。つまり、私がどう疑おうと反発しようと、神はそこに存在する。もちろん、それを理解し解釈して人生に反映させる「私」はその価値基準そのものではないから、「私」によって理解された「価値基準」は、絶対ではないが、絶対が存在すること自体は疑いえない。その絶対は、どうしたって排他的で独善的にしかならない。
キリスト教の神は全知全能すなわち、何でも出来ると信じられているが、出来ないこともある。それは自己矛盾することである。善である神は悪でありえない。こう書くと価値判断が入るかもしれない。甲である神は非甲ではありえない。とでも書こうか。甲である神は非甲に対しては排他的にしか働きえないし、それは非甲から見たら排他的と映るかもしれない。
誠実なキリスト教徒はこの特質についてはとっくに承知している
一応、立場上抗議するだろうけど、このことそのもので怒り狂う人は余程「独善的」なんだろうな

仏教だって排他的で独善的だ

よく、仏教の人と話していると、「宗教は、入口が違うだけで、違う登山道から一つの長城を目指しているように最終的には同じところを目指し、同じところに到達するんですよね」とおっしゃる。「そうですねアハハ」と愛想笑いをするけれど、もし本当にそうならば、どの登山道から登っても良いことになる。
上のようなことを言われると「だったら、何で自分トコの宗派を作ってそれを維持したり拡大したりすることに労力を注ぐの?」と言いたくなる。そりゃやっぱり、自分ところの登山道がいちばん素晴らしいと思っているからでしょ?

小泉さん以降の政治家の傾向

昔の政治家のイメージは白黒はっきりつけない発言をすることであった。「善処します」とか「前向きに検討します」とか。右とも左とも言わなかった。それは、その判断について総理大臣と言えどもそのときの個人の判断では決めがたいからで、その意思決定の部分は、一般の人の目には触れないところで、一般の人の目には触れさせるべきではないような様々な条件を総合して検討・決定されてきた。もちろんその中には、その判断の本質とは違う判断基準が幅を利かせるということもあって、「永田町の常識は世間の非常識」などと言われることになった。
小泉さんはその政治の意思決定のプロセスを(ある程度)表に引っ張り出し、光の下に曝した。彼自身は彼個人の信念に基づく(と受け取られる)判断を示し、それが国民一般の相違と一致している(かのように表現する)ことによって、自身の信念を実現させた。その際彼は、政治の意思決定が立法府である国会にではなく、自由民主党の中にあることを明らかにし、そのごちゃごちゃしたプロセスを人目に曝した(ように見える程度に曝した)。
彼に続く人たちは、それまで国民に見せる必要がなかった「まだ決まっていない政策に対する(その決定機関の中では小さな要素でしかない)自身の見解」を、よりマスコミに取り上げられるようなエキセントリックな表現で、まるで既に既定事実であるかのように表明することを強いられた。
安倍さん福田さんが、どちらかというと口が重かったのに対して、麻生さんとその周辺の人々、鳩山邦夫さんや笹川尭さんあたりの軽口は、好意を持った聴衆ばかりの時のリップサービスが、もっと大きな媒体に載る場面で思わず出てしまったということだろう。
民主党政権になって、政策決定が更に政権与党内で行われることが明らかにされた。小泉さんの時は実はそれほど曝していなかった腹の探りあい、アドバルーンの挙げあいが、あっちの大臣とこっちの大臣の間で表立った記者会見の場を使って行われることになってしまった。鳩山さん自身、岡田さんや前原さん、藤井さん、長妻さん。みんな、リップサービスアドバルーンばかり。
「鋭意検討いたします」だけ言わせとけばいいのに。



以下関連ニュース全文

キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛
2009.11.10 21:21
このニュースのトピックス:小沢一郎
松長有慶座主と会談する小沢幹事長松長有慶座主と会談する小沢幹事長

 民主党小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。
 国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。

 一方、仏教に関しては「現代社会は日本人の心を忘れたり見失っている。仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と称賛した。