聖書って何さ(その3)

聖書って何さ(その1)
聖書って何さ(その2)
この前、旧約聖書の預言書をテキストにちょっとまじめなお勉強会があったのですよ。少し専門的な話をってことで、写本の異読*1の話までした訳です。

で、ある箇所で、先生が、「ここの箇所は、ヘブライ語の伝統的な本文と七十人訳聖書*2で文章が違っています。これこれの理由で、七十人訳聖書は間違いでしょう」てな説明をした訳です。

そしたらですよ奥さん!
講義の終わりくらいに一人の受講者が、
「先生は七十人訳が間違っていると言いましたが、七十人訳新約聖書に引用されている聖書でイエス様もその文章を使っています。七十人訳が間違っているというのは、イエス様が間違っているということで、私は理解できない」てなことを言った訳です。
聞いてた方は唖然としたのですが、先生は丁寧にお応えになっていました。

色々と突っ込みどころは満載なのですが、聖書と聞くとそれはすなわちなにも間違いが無いものという印象が、それこそ信仰として刷り込まれているのでしょう。結構専門的な話題も出る講義だったので、その程度のことは理解して参加しているのだと思ったのですが、困ったものでした。

*1:「写本の異読」の説明 当然のことですが、印刷技術が実用化されるまでは、聖書に限らずあらゆる本が手書きで書き写すことによって複製したり、古くなった本を作り直したりしていた訳です(これを写本と言います)。しかし、長い年月何回も書き写していけばどんなに注意していても書き写し間違いが生じます。今日でしたら、それを補正することも可能でしょうが、当時はそのまま書き写し続けることしか出来ませんから、あっちの本とこっちの本とで様々な違いが生じてくる訳です。世界中の博物館にある中世以前の聖書を読み比べると、ほとんど一行に一カ所くらいずつの割合で色々なバリエーションがある訳です。これのどれが元々の文章なのかというのを研究する学問があって、それは聖書に限らずあらゆる古文書で必須の学問となっています。むしろ聖書にこの学問を適用するのはずいぶんと遅れたのですが、何しろ資料が膨大であることと研究者も多いということで、今日ではこの手の分野では聖書を材料にした研究が最先端と言っても過言ではないでしょう

*2:七十人訳聖書 古代に作られたギリシャ語訳旧約聖書の通称。新約聖書ギリシャ語で書かれていることもあり、その引用の多くが七十人訳であると言われている