麻生太郎を断固支持する(ただし同情的に)

自民党の総裁選挙は、一晩たったら大勢が判明し、始まったときには終っていた。バカを見たのは麻生太郎である。確かに、参院選が終る時に、安倍続投を決定した最大の戦犯は麻生氏なのかもしれない。しかし、誰がどう指示しようと最終的に続投を決めたのは安倍(現)首相である。首相の辞め時は、首相自身の最大の専権事項であって、その責任は他の何者によっても侵すべからざるものである。と言うことは、安倍続投の責任があるから彼を支持しないというのは詭弁に過ぎない。彼を指示しないのは、彼が首相になると下手に長期政権になってしまうかもしれないという恐れ、出る杭を叩こうという思いであろう。
選挙の日程を決める時に、一週間の選挙期間を提示した執行部(麻生)に対して、短過ぎると突き上げ、開かれた選挙をとか、政策論争をとか大義名分をかざしたのは誰だ。彼らは何故政策論争なしに福田を支持する(ないしは支持するとする派閥領袖に無批判に従う)のか?一晩たったら、最有力候補から当て馬に落ちていた麻生はいい面の皮だ。
自身の総裁への長い道を考えたら、「今回は、安倍政権の責任者として出馬は遠慮する」と表明するのが得策であろう。しかし麻生は立候補した。結果は見えている。大差で敗北し、その理由として安倍無責任内閣の責任者というレッテルを貼られてしまう。下手すればこのレッテルは、次の総裁選挙においても致命的な汚点になるかも知れないのだ。しかし麻生は立候補した。もし彼が立候補しなければ、何のための選挙か?ほとんど森政権誕生時と変わらない状況に、国民はますます自民党を見限るであろう。小泉の変えたものは全て元に戻ってしまうことになるのである。(この点で、福田支持を表明した小泉こそ、最大の奸物であろう。)
麻生の立候補は、自民党がそれでも開かれた政党、民主的な手続きをとる政党であることをかろうじて表現しようとする身を捨てた行動であると理解する。彼自身何の得もないにも関わらず、全体のために身を捨てる姿を断固支持する次第である。彼が身を捨てたことが、彼自身に帰ってくるように祈る。
ところで、安倍は、小さい政府・親米政権である。麻生は恐らく大きな政府・親米であろう(安倍と相対してということかもしれない)。福田は大きな政府・親中(反米)である。自民党の特に小泉安倍路線を強く支持してきた連中は、安倍から福田に大きく舵を切ることを認めるのか?いいのか?ほんとうにいいのか?>小泉