死刑執行

何気なくテレビをつけたら、松本死刑囚の死刑が執行されたとのニュースを流していた。
あの事件は日本の宗教史においても記憶されるべき出来事であった。日本の宗教法人法は、宗教界に自浄作用が働き、自分たちで律するもの、少なくとも相互に律することができるものであるという信用の上に成り立っていた筈だ。しかし、キリスト教はもちろん、仏教も、その他の宗教もオウムを止めることも、警告することもできなかった。
そして宗教が物理的な他者攻撃能力を持つことも社会の想定外だった。詐欺や家庭放棄などはあったけれども、物理的に他者の命を奪うことを宗教が容認したり、ましてや推進、強制することなどありえないと思っていた。
しかし、宗教は暴力を容認するものであるし、日本の宗教界は相互検証能力相互警告能力を持っていないことが明らかになった。政府は宗教団体を行政による検査対象とみなすようになったし、社会は宗教を暴走しうるもの、自分たちの生活と身体を侵害しうるものとみなすようになった。
宗教家はこの日を宗教が処刑された日として記憶しなければならない