このところ、日本のデモがちょっと不思議だ

今回いきなりではないのだろうけれど、「自主的に集まった学生」とか「自主的に集まった主婦」とかが目立つようになって来た。シールズは、SNSで自然発生したのではなく、少なくともその中核部分は某全寮制私立高校の同窓生の人間関係が核になっているらしいということが明らかになって来たけれど、それでもそれ以外の多くの人々は「それまで政治運動に縁遠かった市井の若い人々が、ネットと言う媒体によって動き出した」と見做されていた。一昨日だったかにも、ニュースのインタビューで某芸能人がそんな風に評価していた。
補強するかのように二人の人がインタビューに応えていた。一人は子どもを抱いた若い主婦で、「ニュースを見て居ても立ってもいられなくなって……」てなことを答えていた。もう一人は若いサラリーマンで、「朝ニュースを見て会社に電話して半休とって来ました。これから会社に行きます」等と答えていた。いったい、その日の朝電話して来て「今日午前中国会前のデモに参加するので半休下さい」等と言って、許可が出る勤め先ってのは、いったいどこなんだろうと思ってしまった。
彼がもし、休む理由を会社に明確に伝えていなかったとしたら、テレビのインタビューでべらべらと喋るのは彼の今後の評価にかかわるのではないだろうか。件の奥さんも、旦那の職場での立場に影響が出る可能性は全くないのだろうか。
私は何を隠そう、そういうちゃんとした会社勤めをしたことがないので良く知らないのだけれど、そんな風に半休をとることができる社員が入るということに驚いた。よほど余裕があるよほどなのか、よほどその手の活動に寛容な職場なのか、それとも、よほどその手の活動に参加することが守られたり、むしろ推奨されるような職場なんだろうなあ。と感じた訳です。

回りくどく話すのは止めよう。
要は、左翼の人たちは、直接自分たちの組織を動かして人を動員することが、周りからあまりよく見られていないと言うことに気づいたんだと思う。そこで、直接自分たちとは関係が内容に見える組織を作って、その組織を通して動員する。時にその組織は、ネットだったりSNSのつながりと言う緩い組織だったりするのだけれども、しかしその中核にはキッチリとした組織的な人材が配置されていると言う仕組みになっているのではないかと思う訳でだ。
そう思うと、あそこにいる人たちの「自発的な」と言う言葉にうさんくささを感じてしまう。