また、ボチボチ書き出そうと思う

首都圏に転居して一年と少し経った。
つくづく思うのは、首都圏は余裕がないということ
鉄道は毎朝毎晩溢れるほどの人間を乗せて走っている。ちょっとトラブルがあるとすぐに何万人と言う人に影響がある。その割に、そういった遅れを許容しない。人々は雨が降ろうが槍が降ろうが自分の仕事場に向かい、まるで雨等降っていないかのように仕事をする。
四国はそうではなかった。ちょっと風が強いと瀬戸大橋が止まる。視界が悪くなると連絡船も止まる。嵐になると各県庁所在地の間の交通が遮断される。そうなれば、少なくとも移動を伴う仕事は止まらざるを得ない。
先日も台風の中会議があった。首都圏だけでなく、仙台や名古屋からも普通にメンバーが集まるのだから、不思議なものだと思った。


空間についても余裕がない。過日の台風に伴う氾濫は、大きな被害をもたらした。その時思ったのは、江戸時代以前であれば、川を氾濫させる地域を意図的に作っていたのではないかということだった。具体的な例として適切か判らないけれど、木曽三川が愛知側の堤防を高くし、岐阜側の堤防を低くしていると言った話も聞く。(ちょっと検索すると、必ずしもそんな簡単な話ではないようだけれど……)
震災の津波の時にも思ったのは、津波の来るようなところに住居を造らなければ良いのにということだった。おそらく、最初のうちはそうなるかもしれない。けれどもやがて、低地も宅地となり、人が住むようになるんだろう。日本と言う国土が、これだけの人口を抱えるには狭すぎるのだ。


100パーセント稼働させなければ支えられないような仕事量で通常の運転をしていると、何かトラブルが起こった時に、取り返すことができない。それを自転車操業と呼ぶ。日本と言う国自体が、地理的に社会的に自転車操業となっているように感じた。