澱の話

国家や社会等の大きな力に虐げられ、不満を蓄積している人々が一定数居る時、彼らの不満は社会的な運動や活動に溢れ出して行く。活動は組織を生み出し、組織はシンボルとなる個人を求める。彼は英雄となり、人々の不満を汲み取り集約しエネルギーに変えて行く。エネルギーが集まれば集まる程、活動は影響力を増す。しかし時にそれは先鋭化し過激化する。ある人は一定のところで不満を解消し、ある人はその先鋭化を拒絶する。しかし英雄はとどまる事が出来ない。彼にはますます不満が集約され、活動はますます先鋭化して行く。必然的に行き着く先は破滅でしかない。英雄は人々の怨嗟を飲み込んで自身を滅ぼして行く。それはちょうど煮詰めれば煮詰める程澱が溜まって行くのに似ている。
英雄はエネルギーの源ではなく、単に方向を与えるために必然的に求められた機関に過ぎない。従って、英雄が滅びても、それは単に新しい別の英雄を生み出すための猶予が生じたに過ぎない。