入学式

早いもので、先日我が家の長男も入学式を迎えた。
じつはその事で、このところ気が重かった。というのも、ここ数年文部科学省の指導が厳しくなり、入学式等の式典で国歌斉唱が求められると聞いていたからだ。先日も東京で君が代を歌う時に起立しなかったとかで再雇用されなかった教員の話があって、処分を取り消すように求める署名が教会に回ってきたりしていた。キリスト教と言えば「国旗国歌法案反対」であるのが当然のようになっている。わが教会が属する教派でも、折々にこれらに反対する声明を出したりしている。正直わたし自身もみんなで立たされてあの歌を歌わされるのには抵抗がある。自分が学生時代にはそんな経験が全くなかった事もあるからかもしれない。
正直別に、一父兄であるわたしが立っていようが座っていようが周りは何も気にしないと思うのだけれども、もし万が一、国歌斉唱時に全員が立つように指示されたとしたら、それこそ、座っている人が一人もいないように確認するような事になったら、これは困るなぁと思った。そこで喧嘩して騒ぎを起こす程武闘派ではないし、かと言って、事なかれ主義で指示に従うのは自分の信仰的良心も傷むし、周りの人で自分の事を知っている人がいたら、「あいつはキリスト教徒だけどあんなもんか」と思われるのも癪である。
いろいろ悩んだ末、先学期の末、つまり三月の中頃になって、校長先生宛に手紙を書く事とした。じつはそのときの文章は保存していたのを上書きしてしまって、失われてしまったのだけれど、自分がクリスチャンである事、国旗国歌に対して複雑な感情を持っている事、それらの感情を無視した形で規律や斉唱を求める姿勢には疑問を持っている事、しかし、式典の秩序を乱そうと言う意図は全くなく、純粋に子どもの出発を祝いたい事等を記した。もし、配慮してくださるのであればありがたい事だし、出来れば起立しない自分を無視して粛々と式を進めてほしい事、しかしもしそれが許されないのであれば、事前に通知してくだされば、改めて対応を考える事等を書いて送った。すると、校長先生から直々にお電話があり、父兄に対しては強制する事は無いこと、自動に対しては文部科学省の学習指導要領に沿って指導しなければならない事等をお伝えくださった。わたしは思ってもいない丁寧な対応に感謝し、子どもに対する指導そのものに関しては何も口を挟むものではない事を申し述べたように記憶している。
で、先日いよいよ入学式の当日を迎えた。そのような行き来があったにも関わらず、式が始まると少しドキドキした。全員が立った時に、自分だけ座っているのはどんな風に見られるだろうか。自分の隣にいる妻はどうするのだろうか(自分がこうする・こうしたって話しはしていたけれど、妻がどうするかを聞いていなかった)。夫婦で座っていたら更に目立つな。でも、奥さんが立ってて旦那だけ座っていると言うのも変な光景だな。等と思っていた。
式のプログラムは、まず、新入生の入場があり(6年生の作る花のアーチの下をくぐっていくと言う微笑ましいものだった)、その後開式の言葉、そして国家斉唱と続くものだった。ところが、開式の言葉の前に、アナウンスの児童が「児童は起立してください」と言った(ように聞こえた)。もしかすると「一同は起立してください」だったかもしれない。しかし、体育館の後ろ半分にいた父兄席では、ほとんど誰も起立しなかった。一番前の数人の父母が前にいる児童につられるかのように立ち上がり、周りが立ち上がらないのに気がついて照れながら着席した。開式の言葉があり、そのまま国家斉唱になった。改めて規律を求めるアナウンスは無く、そのまま歌い始めた。父兄席では誰も歌っていなかった(と思う)。
拍子抜けした。でも世の中こんなもんだ。たいていの事はこんな風に切り抜けられる。子どもは少し大きくなったかもしれない。