放言の効用

昨日知り合いの牧師先生にお聞きした話。その先生は、あるキリスト教のイベントの連絡先をかって出ておられていて、御自宅の電話番号を公表しておられる。
最近その電話番号に、抗議の電話がかかってきたそうだ。電話の主は、キリスト教は独善的であり、排他的でありケシカラン。そんな連中が公共のホールを使ってキリスト教のイベントをするのはもっての外だ!!と憤慨していたそうだ。牧師さんは穏やかにお相手してお引き取り願ったそうだけれど、その話を聞いて、「へぇ、そんな人も要るんですね」と言うのが当方の感想。
要は先日の小沢発言を受けてのものだろうが、あの発言を真に受けて、「これは自分も抗議しなければならない!」と思う人が一人でもいるというのは驚きだ。あの発言はキリスト教を好きか嫌いかに関わらず「リップサービスとは言え、迂闊なことを言うもんだなヤレヤレ」という受け取られ方をするものであって、せいぜい熱心なキリスト教徒が「あんなことを言わせるなんてけしからん!」と抗議する程度かと思っていた。せいぜい我が意を得たりとニヤニヤする人がいたとしても、「そうだったのかキリスト教はけしからんのだな、なるほどその通りだ、俺も抗議してやれ」などという反応があるとは以外。
これは逆に、どんな多数の支持を得られない発言であっても、少なくとも一人はその発言通りに啓蒙される人がいるということを教えてくれる非常に貴重なデーターだと思う。

もちろん、自分の電話番号を公表していないからそういえるだけなのだが。