信仰的確信

数エントリー前にも書いたけれど、世間には実に多様な人たちがいる。自分はその人たちと出来るだけお付き合いできるようにしようと思っている。
上の話で言えば、教会の中に、処女降誕が単なる象徴で歴史的事実ではないという人たちがいても、処女降誕なんて迷惑なドグマでむしろ廃棄すべきだと言う人たちがいても、お付き合いできると思っている。もちろん自分自身ではそれが大切な信仰の一部出なので、もしどちらが正しいか?とか論争を挑まれたら、とことんお付き合いして自説を主張したい。
ただ、私の主張は、結局は不可知論なので、「全能の神様が、こうしたって言ってるんだから、歴史的事実として起こりえるんじゃね?」って話に過ぎない。恐らくそれは平行線で終るだろう。
処女降誕は、自分の中では単なるローカルルールで、自分にとってはそれは紛れもないルールなのでそれに従うし、むしろ、そのルールがベストであると確信してそれを選択しているので、何の疑問もないのだけれど、他人様にまでそれを押し付ける気はない。「気に入っていただけるのならばいかが?」と言った程度だ。しかし、最近思うのは、それではいかんのだろうということだ。これが正義だ!これが真実だ!これ以外に道はないからこれに付いてこい!くらいの勢いがなければならないのかもしれない。
上の本の上記の箇所におば様方が到達するのはおそらく再来年くらいなのだ。私は「あー世の中こんな人もいるのね」程度で終るもんだと思っていたのだけれど、もしかすると「こんな選択肢を示されたら迷ってしまう、揺らいでしまう。困った困った」とかなるのだろうか。