受難週なんで、毎日エントリーをしようと思ってたんだけど、挫折したよ

これは、また聞きで聞いた話。
ある教会で、ある婦人に孫ができた。その孫の父親、つまり婦人の息子もクリスチャンだし、単身赴任している夫ももとその教会の教会員だったつまり、いわゆるクリスチャンホームで、息子達はしばらく教会を離れているけれど、教会の人たちもみんなその家族のことを知っていた。ところが、その息子はいわゆるできちゃった婚で、結婚式も教会ではなく他所の結婚式場で行っていた教会員の中にはその息子が結婚したことも知らない人が居たらしい。「できちゃった」なので、当然しばらくすると子どもが生まれることになる。牧師のところには、婦人からも、単身赴任中の夫(牧師と個人的に親しい)からも「子どもが生まれたよ」という連絡があったらしい。そこで牧師は日曜日の礼拝の最後で、そのことを報告したらしい

教会にいったことがある人なら御存じだろうけれど、たいていの教会では礼拝の最後に、「報告」って項目があって、いろいろな連絡や、教会員の動静や消息が伝えられる。子どもが生まれたなんて話も当然そこでお披露目がされるのである。

ところが、その報告がすみ、礼拝が終わったところでくだんの婦人は、スッと姿を消してしまったのだそうだ。普段だったら、礼拝後も色々と挨拶をしたり、話をしたりして残っているはずのその婦人があまりにも無愛想に帰ってしまったので、「牧師の報告が気に喰わなかったのではないか」と密かに評判になったのだそうだ。


私自身がクリスチャンであるにも関わらず、婚前交渉には鷹揚なので、どうしてできちゃった婚がばれたくらいでそんなに腹を立てるのか、腹を立てた筈だと勘ぐるのか検討がつかない。どうせ子どもができたことはばれるのだし、計算する人はいつだって計算するのだから、早いうちにバラしちゃえば良いのにくらいに思うだけだ。しかし、うちの奥さんに言わせれば、田舎はそう言うことに対する目がうるさいのだそうだ。それって逆に全然キリスト教と関係ないじゃん。