多宗教共存

先日、インドネシアで長年宣教師をしていた人の話を聞いた(うわっ特定されちゃうかな。。。わくわく)。
御承知のようにインドネシアのメジャーな宗教はイスラム教である。インドネシアは面白くて、法律で国民は皆、イスラムか新旧のキリスト教、仏教かヒンズー教の五つの中から宗教を選ばなくてはならないのだそうだ。

それはそれとして、宣教師の報告は、インドネシアにおいては、(少なくともその宣教師の周囲では)キリスト教と他の宗教は非常に平穏に共存しているということだった。
話が終って質疑応答の時、聴衆の一人が、自分はインドネシアに行ったけれど、朝に昼に晩に町中にコーランの朗読が流れていて、インドネシアキリスト教信仰をもって生きることが非常に困難である、いわば迫害の中にあると感じた」と言った内容の発言をした。宣教師は発言した人の言わんとするところが理解できていないようでポカンとしていた(ように見えた)。
発言者の気持ちも良くわかる。日本に生きていても、恐らくキリスト教とでなくては気がつかない「非キリスト教的宗教習慣」が満ちていて、それは往々にして自分がキリスト教信仰を保つのに障害となる。
卑近なところで言えば、友達が「今度の週末、海行こうぜー」とかメールしてくる。「だから、日曜日は俺は忙しいの」と断わることになり「つきあいわりーなぁ」とか言われるのだ。(あ、全然「非キリスト教的宗教習慣」じゃないや。)
街を歩いてて朝に晩にコーランが大音量で流れてきたら、日本で、念仏とか御題目とかが大音量で流されるのを連想して「こりゃぁ、この町でクリスチャンでいるのは大変だわい。同情しちゃうよ」となるのだ。


しかし、宣教師にしてみれば、イスラムの人はイスラムコーランを流す。クリスチャンはクリスチャンでゴスペルでもなんでも歌ってればよいわけだ。一つ話してたのは、地域の集会などでも、「今日はプロテスタントの牧師さんがお祈りしてね、次回はイスラムの人がお祈りね」とかやってるのだそうだ。たぶん日本のキリスト教徒は耐えきれないだろうなぁと思う。
西暦(つまりキリスト教暦)の正月も中国正月もイスラム暦の正月も、ヒンズー暦の正月も、キリストの誕生日もムハンマドの誕生日も皆祝日でお祝いで、皆その日にお休みして、それぞれの宗教の人はそれぞれの宗教の日にお祝いをする。
キリスト教以外は身辺から遠ざけるとか、公共の場では宗教色を持ちださないとか、そんなのは無理でしょ。