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http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20080809/1218263752
どーでしょう。と訊かれたから応えようかなと。


wikipediaを見ると、

焼香(しょうこう)とは、仏教において、香を焚くこと。特に、仏や死者に対して香をたいて拝むこと。

とある。また

心と身体の穢れを取り除き、清浄な心でお参りする際の作法とされる。

とあるが、やはり「お参り」という宗教的行動に伴うものとされている。wikipediaの記事の妥当性は分からない。
でも少なくとも、現在、一般の認識としては、ragarajaさんの指摘するような

香をたくのは単に身奇麗にする日本の風習

だけとは言い切れないのではないでしょうか。
私個人は、むしろ、ragarajaさんと同様「焼香だけ避けてれば偶像崇拝でないってのは言い逃れっぽく無い?」と思いますが……。


キリスト教徒が焼香を避けるのは、少なくともプロテスタント教会では一般的だと思います。もちろん、焼香だけが偶像礼拝なのではなく、焼香を含めた仏式の葬儀全体が「非キリスト教宗教行為」です。
ちなみに、キリスト教会では、「非キリスト教宗教行為」を「像」を用いるかどうか関係なく「偶像礼拝」と呼ぶことが多いです。


閑話休題
ホントに頭でっかちの原理主義キリスト教徒であれば、キリスト教式以外の葬儀には最初っから出席しないでしょう。(だって、偶像礼拝=「非キリスト教宗教行為」だから。)「非キリスト教宗教行為」だけど、葬儀には出たい。でも、自分が「非キリスト教宗教行為」をする人間であると思われたくない。真面目にキリスト教をやってると思って欲しい。だったらどこで線を引くか。坊さんがお経あげている間黙って座っているくらいは我慢できるけど、自分で能動的に行動して、いかにも仏教の葬儀らしい行動を取るのはちょっとヤだな。じゃあ、焼香はパスしようか。てな感じ。だろうとおもいます。


焼香だけを誤解して目の敵にしているのではないと思います。


あと、タリバンを擁護する気は全くないのですが、キリスト教も仏教も「何を拝むか」と同時に「どう拝むか」を大切にします。

イスラムで本来否定しているのは神ではない神像を神のように崇める行為だと思うのですが、

とありますが、イスラム教ではアラーの姿はもちろん、ムハンマドの顔も描くことを禁じています。つまり、神であろうと像を作ってそれを用いて崇めることは禁忌です。
もちろん、タリバンの行為は、イスラムキリスト教の本流ではありません。むしろ、彼ら自身の誤解や無理解に基づくものであることは,ragarajaさん指摘の通りです。

多くの仏教徒の方が、像を用いた礼拝を「これも全て方便」と言いますが、これはキリスト教徒やイスラム教徒には通用しない理論であることを判ってもらえたらと思います。