キリスト教の前提

キリスト教について説明するときに、できるだけコンパクトに説明しなければならないときには、「キリスト教とは、イエスが十字架について死に、そこから復活したことが、私たちの命をもたらす唯一の道であることを信じ受け入れる宗教」です。くらいに説明する。


それはそれとして、そのようなキリスト教を受け入れるためには、(特に非キリスト教社会である日本では)必ずしも自明のことではない、幾つかの前提を受け入れていなければならないのではないかと思ったわけですよ。奥さん。
その多くは、聖書の中に記されていること、ないしは、そこから論理的に帰着できることであるが、上記のキリスト教の簡単な定義には含まれない。しかし、この前提を受け入れていなければ、上記の定義のようなキリスト教も受け入れることはできない(と思う)。
また、一般的に証明できることではないので、文字通り「受け入れる」つまり、信じるかどうかが問われる命題である。
「聖書の中に記されていること」であると言う事は、ユダヤ教や、もしかするとイスラム教にもこの理解は共通しているのではないかと思うが、もちろん確かめてもいない。
それ以前に、自分の感覚なので、本当にキリスト教全体がこれらを前提条件にしているかどうか定かではないし、幾つかのものは、特にいわゆる「リベラルな」キリスト教の方からは鼻で笑われるかもしれない。
とまあ、逃げを打っておいて、

神存在の前提となること

  1. 「物質ではないが意志を持った存在」または「人の物質ではない本質的部分」、すなわち「霊」が存在する。
  2. 完全な善とか、完全な愛とか、完全な意志とか、とにかく「完全な存在」は存在する
  3. 善や悪の本質は、人間の心の持ち様や状態ではなく、客観的自律的意志的な存在である

歴史観・世界観・人間観の前提

  1. 「歴史」「時間」は、ある時点に始まる。完成に向かって進むものである
  2. 秩序付けること、「白黒つける」ことは良い事。どっちつかずはむしろ良くない。従って、善悪をはっきりとさせることは良い事
  3. 人の人生は、「死んで終り」ではない。その後を含めて人生の価値が決まる

それぞれの反対は

  1. 物理的測定で計測できない存在は無い。特に、物理活動から独立した「意識」「意志」は存在しない。
  2. 善、愛、等の価値観は、時代や状況などに左右される相対的なものである
  3. 善や悪の本質は、人間の判断
  1. 歴史はくり返す。ないしは多様である。歴史そのものには意味や目的はない
  2. 物事はあいまいなほうが良い(こともある)
  3. 人間死んだらお終い


一つ一つもう少し説明したいけど、それはたぶん早くとも今月下旬以降になる筈。