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靖国参拝「不戦の誓い」は詭弁か? - ねこまんま学園

だから、私は靖国参拝で「不戦の誓い」は詭弁だと思います。なぜなら、靖国に参拝して「不戦の誓い」というのなら、軍人だけが明治以降の戦争を闘った、亡くなって被害にあった、だからこそ今の日本ができたということに他ならないからです。一般ピープルを無視した「不戦の誓い」なのです。となると、日本遺族会をはじめとする遺族の理解を得る為、もしくはアメリカに追従することで自衛隊が各国の戦地に出向き、また新たに靖国に神として祭られることを想定して参拝したのかと邪推せざるを得ません。


http://d.hatena.ne.jp/parupuru/20060816

現在、平和の礎に公人が行っても、誰も文句を言わないし裁判を起こされることもない。もちろん戦争賛美とか国家主義とか言われることもない。靖国神社が本当に平和を祈るなら、日本軍が殺した中国人もアメリカ人もまつればよい。そうすれば世界中の国から賞賛されるかもしれない。それができないのは、結局のところ靖国国家主義(もっと言えば大和民族主義)の神社だからではないか。

2006-08-16

端的に言うと「靖国問題」はイデオロギーとしての問題と政治・外交としての問題が意図的に混在されているのだと考える。

まず、イデオロギーとしての問題というのは、靖国神社自体が軍国主義国家主義というイデオロギーの象徴であり、その中心といえる存在である。靖国神社のHPにもしっかりその点が言及されているので説明は不要であろう。

そのため、「靖国神社」を参拝することはそうしたイデオロギーに賛同しているという批判も一定の説得力を有していると言える。しかし、それに対する答えとしての「戦没者の方々への追悼」という点がこうしたイデオロギーとしての問題を隠しているのである。