某所に昭和天皇の発言メモはデッチアゲだってコメントがあったので

 歴史って言うものは、書かれたものを読むことでしか構成できない。(そこに考古学的な資料の解釈が状況証拠を提供するけれど。)書かれたモノを読む時に前提とすべきなのは、書かれたモノには必ず書いた人の意図が反映しているということ、しかし、基本的には歴史を忠実に記録しようと言う善意(純粋な意図?)に基づくものであると判断すべきものであること。
従って、眉に唾しつつも一応はそれを信じるというのが、あるべき態度ではないかと思う。
だいたい、昔の歴史なんて、みんな当時の支配者の都合がいいように作られてる。でもそれを全部否定したら、歴史を研究することなんてできない。かと言って、全部疑わなければ、歴史を研究する意味はない。


ただし、今回のメモで首相の政治的な行動が制約されるのは、そもそも発言者の意図に反すると思う。
靖国がどう判断するかは、良く分からない。天皇って靖国神社とどういう関係なんだろう?


えっと、キリスト教にカテゴリしたのは、聖書だって、そう言う歴史のひとつだってことを言いたかっただけ。頭から全部信じ込まなきゃならないんだったら学ぶ必要はないし、全部否定したら学ぶことはできない。信じつつかつ疑う、疑いつつかつ信じるのです。