つづき

真実のユダが明らかになるのか?
 ユダがどのように裏切ったのか、それをイエスがどれ程知っていて、促したのかについては、四福音書の中でも、記述に差があります。ヨハネ福音書などまさに、キリストがユダを促したかのようにも読める文章になっています。この「ユダの福音書」がどんな内容であろうともユダの裏切りについての新しい見解を生むものではありません。


偽書
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060407-00000037-jij-ent

 歴史に「ユダの福音書」の名が登場するのは、紀元180年にリヨン司教の聖イレナエウスが残した文書が初めて。この文書では、福音書偽書であると決め付けられている。
(一部引用)

紀元180年代に既に「偽書であると決めつけられている」というのは決して不自然なことではない。この時代に正典か偽書(つまり、単に正典でない書物と言う意味)であるかという判断がまとまってきたのだ。また、このユダの福音書が「偽書(この場合、書名に出てくる人物が実際の記者ではない書物)ではない」可能性はほぼゼロだろう。この意味で言うならば、マタイ福音書も、多くのパウロの書簡も「偽書」であるとされている。
従って、「決めつけられている」と言うのは恣意的な表現。「偽書であると判断されている」くらいが事実に近い筈


ダヴィンチコード
 現物を読みもせずに言うのは何だけど、ユダの福音書やトマスの福音書を真面目に研究している文献学者と一緒にしたら、それらに失礼。まぁ、小説だと思って読みましょう。