国旗の話

君が代神経症 - finalventの日記
まずは、コメント

>>このクリスチャンはどの派(denomination)なのか気になります。
調べたわけではないけれど、皮膚感覚として。
多分、日本のキリスト教の教派のほとんどは、少なくとも原理としては「日の丸君が代反対」の立場をとっているし、その立場によほど無関心な人でないかぎり、多かれ少なかれ、ここに書かれている教師のような葛藤をもつと思う。

日本のキリスト教は、多かれ少なかれ、先の世界大戦における日本の立場に批判的なスタンスを取っています(要は親米の裏返し)から、多くの場合、サヨ呼ばわりされます。キリスト教の中でウヨなのは、「幕屋」くらいではないでしょうか?大方のキリスト教教派からは、相手にされてないと思いますが。


>>見よこの世の様は過ぎていく、という人なんで、失職っというのはあまりどうってことないっていうか、そういう奇妙な強さがあるものです。
本来はそうです。でも、そんなにしっかりとしているのは、エホバの証人とか、統一協会とか、反社会的と言われながら彼らの信仰を譲らない人たちくらいではないでしょうか。これも、大方のキリスト教教派からは相手にされてないというか、敵視されてますが。


>>ローマ皇帝など皇帝への忠誠というのとバッテンするというのは歴史的にもないと思うが。
ロマ書が記された時代は確かにその通りです。その後、皇帝崇拝が制度化されるようになると、キリスト教徒は反発したので、キリスト教迫害の理由とされます。


で、妄言
国旗国歌に対して、日本のキリスト教会はほとんどアレルギーに近い反発をする。しかし、finalventさんやコメント欄のenemyoffreedomさんが指摘するように、欧米では、キリスト教徒言えども国旗国歌に何の抵抗も持たない。アメリカの教会何か、礼拝堂の背後に星条旗がはためいていたりするもの。
日本のキリスト教徒は国旗国歌を批判する時に「偶像崇拝」を根拠としてあげる(国旗に礼をするのは、偶像を礼拝するのと同義だ)けれども、たぶん、日の丸君が代という特別な国旗国歌が持っている歴史、特にそれが先の世界大戦時の日本の体制のシンボルであった事に対する拒否感でしかない筈だ。と思う。
私自身は、新しい国旗と国歌を作れば、この問題は何も問題でなくなると思うのだけれど、「国旗国歌」=「偶像崇拝」と考える人は、どんな国旗国歌であろうと拒否するのかしら。そうすると、国旗国歌でシンボライズされる国家に対する態度はどうなるのでしょう?


で更に妄言。
上のように書いたけれど、私はむしろ、現行の日の丸君が代を簡単に帰るべきではないと思う。特に日の丸は、そのまま持つべき。日の丸を止めたからと言って、六〇年あまり前の日本が無くなるわけではないし、その時の日本のしたことについての責任を免れるわけではない。むしろ、悪かったことも含めて、かつての日本が今の日本であることを意識し続けることは大事じゃないかと思うのです。

で、最後の妄言
君が代の方は、歌詞、メロディーともにあまり趣味がよいと思わない。