とか言いながら、スグにまた脊髄反射的に

このエントリ「それほど関心ないんで言うのもなんだが - finalventの日記」。客観的な歴史ってのは、全てシンボルなのではないかと思った。
その場に立ちあわなければ、その出来事の事実を「知る」ことは出来ないし、その出来事を「知って」しまった人は、その出来事を「客観的、全体的、歴史的に把握する」ことは出来ないのではないかと思うのです。
ルワンダと同じような状況になったとき、「ホテル・ルワンダホテル・ルワンダ」と言うか、「関東大震災関東大震災」と言うか、その言葉が歴史的教訓と言う意味で、シンボルとして機能すれば、町山氏にとってどっちらもヨイのではないかと。
しかし、朝鮮人っていうシンボルには食いつく人が多すぎるな。
「ニホン人」が「ニホン人」を虐殺した歴史的例なんてありそうなものだけどな。