ペンは剣よりも強いのか?

上の続きと言うか、全然別の話というか。
 ※5/4全体を加筆推敲

憲法9条は、一言で言えば、「……戦争……は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と言う法律である。いわゆる「改憲派」の人なんかは、「日本が軍事力を持たなければ、国際紛争を解決する役割を担うことが出来ない」とか言う趣旨のことを言うけれど、この条文は、国際紛争を解決する手段として、戦争以外のものがあることを前提としている。つまり、「話しあい」だ。

日本が、戦争と言う手段を放棄するということは、国際紛争の解決への寄与を放棄するということではなく、あくまでも「話合い」で国際紛争を解決すると言う立場をとることを宣言しているということである。

しかし、改憲派の人たちは、「実際にテロが起こったり、外国の兵力が侵入して来た時に、自衛のための戦力くらいは持たなくてはならない」と言う。確かに、まさに敵の軍隊が攻め込んできた時に、話合いはなんの意味も持たない。膠着状態で交渉するにしても、少なくとも武力を持たなければ、膠着状態にもならない。
おそらく、憲法9条は、実際に敵国が攻め込んできた時の事を想定していない。そのような状況に陥る前に、戦争以外の手段をもって「国際紛争を解決する」事が出来る筈であるという、ある種楽観的な理想論に立っている。

そこで思い出すのが、タイトルに挙げた「ペンは剣よりも強い」という言葉。浅学にして誰が言ったのか知りませんが、新聞記者か何かの言葉ではなかっただろうか。これも、実際に剣をもって目の前に来ている人に対してペンをもって戦うことを言っているのではありません。実際に剣を持っている人を前にしたら、それはペンは無力だ。緊急避難的にその人の命を救うということはおそらく出来ない。いくらペンを持っていても、その人の命は奪われるかもしれない。しかし、もしそのような不法な剣の力の行使がなされた場合、ペンは、世論に訴えて、社会を動かし、その不法な剣の行使を止める、ないしは、なされてしまった行使を糾弾する事が出来る。それは、実際の剣の行使よりも強力であると信じるのだ。

憲法9条もそう言う精神なのではないか。日本は軍事力を持たない。攻め込まれたら抵抗できない。だから、話合いによる解決に全精力を傾けようとするのだし、不法な力の行使には、正義を訴えると言う手段で応じるのだ。

その前提としては、健全な(国際)世論の存在が無ければならない。今、その国際世論に対する不信感が高まっていることが、憲法改正の議論が進んでいる一つの要因ではないかだろうか。
弱腰と言われようが、何だろうが、話合いで解決しようと務め続けること。そのような解決手段を他国にも訴え続けること。それが憲法9条を持つ日本の採るべき態度ではなかったか。

バカですか?ソーですか。