I have a dream

丁重なエントリー有り難うございます。私の意見に対し深い思考の上で論述されています。有り難うございます。もう少し書かせていただきます。

たぶん、この手の話は、同じものを見ながら、「これは白だ」「これは黒だ」と言い合うようなもので、最終的に意見の一致を見るのはとても難しいと思います。
でも、私自身ちょっと整理になりますので、もう少しお話しできればと思います。

誠に申し訳ありませんが、信じる宗教が違えば異民族として扱う。これが世界の常識です。

それは悲しいことです。
私は、日本人でありつつキリスト教徒であるという事ができないとは思わないのですが。
確かに、現在、欧州ではイスラム教徒が排斥されていますし、逆にイスラム圏ではキリスト教徒達が迫害を受けています。ちょうど敬愛する終風翁のところにもこんな記事がありました。
しかし今日、どんな国でも、単一の民族、単一の文化、単一の宗教の人々だけで構成する事は不可能です。ブータンのような小さな国が強権的に他民族を排除するのでもなければ、私たちは自分たちの周りに(信じる宗教が違う)「異民族」が生活していて、その彼らも含めて「私たちの国」であると理解せざるを得ない筈です。その辺りをうまく調和させる道を世界はまだ見いだしていませんが、私はそんな道が必ずある筈だと思っていますし、その道が見いだされる事を願っています。

日本の場合神道と仏教が習合し、また両宗教の特性もあり、宗教上の違いをことさら際立たせることはありません。ですから宗教(神道と仏教、仏教間の宗派違い)が問題になることはほとんどありません。神道と仏教自体考え方が近いですし、仏教においては、「宗論どちらが勝っても釈迦の恥」と古来より言われます。ですから日本人は宗教の違いを明らかにすることを嫌います。しかし、これは日本の伝統宗教に限ったことであります。

この点に関しては、私は残念ながら同意しかねます。
日本人が「宗教の違いを明らかにする事を嫌」うのは、それが実際に埋めがたい程に異なっているからです。そしてその違いに関して日本人は不寛容です。例えば浄土真宗の家の人に日蓮宗のやり方で葬儀をするかどうか尋ねたら、恐らくきわめて強く拒絶される事でしょう。


また「神道と仏教自体考え方が近い」というのも私にはよくわかりません。私は、仏教と神道は相容れないものを使い分けたり、変容させていると理解しているのですが。

全く違う価値観の宗教すなわちキリスト教になりますと、正直に申しますが日本的価値観で共存は不可能でしょう。となれば世界標準の考え方を取り入れなければならない。世界標準の考え方は、宗教が違えば民族そのものが違う。このようになります。外国では宗教が違えば、宗教行事に接点がありません。またそうしないと宗教紛争になります。

これに関しては、rebunさんが最初にコメントをくださった日のエントリーに、そうでもないぞという実例の証言を挙げてあります。これです。

我々日本人とキリスト教徒とキリスト教徒の方々が調和的に共存するには、お互いの宗教行事に関して不干渉であらねばならないと思います。葬式等の冠婚葬祭は、最低限の儀礼にとどめたほうが問題にならないと考えています。

この点が、そもそも、私とrebunさんの違いですね。そしてむしろ恐らく多くのキリスト教徒が同様に考えています。ほとんどのキリスト教徒でない方は、そんな事に気づいていません(というよりもむしろ、あえて目を塞いでいます)。
でも私は、キリスト教徒と仏教徒とがお互いに満足できる宗教行事を夢見るのです。

冷たいことを申しますが、どこの国でも当事国の伝統宗教ではない宗教を信じるのであれば、ある程度の不都合を甘受しなければならないと思います。日本くらい宗教の自由が保障されているのでしたら、問題はないかと思います。

確かに日本の信教の自由は、むしろ欧米に比べても広く保証されていると思います。フランスの公立学校でブルカが禁止されたりするのを聞くと暗澹たる想いになります。でも……I have a dream です。