スタンドアローンであることと、ネットワークであること

もしかしたら多少、不謹慎であるかもしれない。ここ数日思ったこと。


スタンドアローンでない人
 地震の後、NHKの深夜ラジオで、長崎で原爆反対運動をしていた人の話を放送していた。もちろん、その放送は録音だったので、その人がその話をしたのは、地震よりも前のことの筈だ。その方は、長崎の原爆で、お兄さん家族を亡くされたそうで、原爆投下後、お兄さんの遺体を見つけて、自分で荼毘に付したのだそうだ。それを聞いていて、今度の地震の後に、遺体を火葬できずに土葬していると言う話を思い出した。身元が分からない遺体はともかく、身元が判明した家族であっても、火葬が出来ないのだろう。もちろん色々な事情があるのも判るけれど、私がその二つの話で思ったのは、戦後一世代以上過ぎて、日本人は自分で(もしくは家族単位で)身内を火葬することが出来なくなった。それだけの知識や経験を失ったと言うことだろう。
もちろん、法律で勝手な火葬が禁じられていると言うのは判るけれど、被災地がそんなことを言っていられない状態であることは皆判っている。むしろみんな、家族の遺体をきちんと荼毘に付したいと願っているだろう。にもかかわらずそれをする人がいない。倫理的、法道徳的に出来ないと言うよりも、知識として、能力として、自分たちで火葬することが出来ないのだろう。私たちは、人間を葬ると言う人として最も基本的なことを自分の出て行うことが出来なくなっている。


スタンドアローンな人
 私は神戸の震災の時に灘区にいた。学校の寮にいたのだけれど、幸いにして建物に被害が出なかったので、むしろ近隣の人の避難所となり、その日の夕方には、温かい食事をとっていた。京都から米を持って先輩がきてくれたのは翌日だったか、近くのコンビニが物資を出し始めたのも翌日だったのではないか、そして、公的な支援は三日後からだったと思う。おそらく今度の震災でも同様だったと思う。津波の被害を受けた地域はコンビニも何もないし、今回は、被災地域が比べ物にならない程広いから、近隣地域から助けに入るのも持っとおくれただろう。いずれにしても被災から数日間は被災地域の人は、流通や援助なしに自分たちだけで生きなければならない。
 私がいた寮には学生の食事のために大きな冷蔵庫一杯に食料の備蓄があった。寮内に大工さんが住んでいて、薪に不便しなかった。こんな幸運な例はそうないだろうと思う。現在の私たちは、常に周囲の人や社会の仕組みにつながって生きている。いきなり放り出されて、自分の身の回りにある者だけで、数日間生きることが出来る人は稀であろう。それは社会が便利になってきた結果なのだろうが、いったいそれが生き物として人間に正常なことなのだろうかと思わされた。


スタンドアローンな地域
 同じようなことは、被災地以外で話題になった「買い占め」でも言えるだろう。流通が止まるかもしれない、物がなくなるかもしれないと言うと途端に人々は不安になって、物資を確保しようとする。おそらく50年以上以前だったら、こんな買い占めは起こらなかっただろう。一ヶ月くらいの米と水は慌てなくても確保できただろう。
 今回のことで、改めて思ったのは、せめて、一キロ四方に一軒くらい、飲める井戸と太陽電池パネル、出来ればプロパンガスを常備すること。いわゆるライフラインが途絶えても、少なくともある一定の地域毎に、数日間だけでも水と電気と火を確保できる体制を用意すべきだろう。もちろん、今回の津波のように地域全体が全く無くなってしまったり、ちょうどその施設のある家が全壊したら困るのだけれど、それでも何も無いよりはましだろう。少なくとも、被災していない町で水の買い占めなんてことは起こらない筈だ。
 この前、教会である人が、地震の備えについての新聞の切り抜きを見せてくれた。いくつかの備えが書いてあったが、その中に、被災後の生活のために、避難袋に十万円くらい入れておくと良いと言うアドバイスが載っていて、思わず失笑しそうになった。そんなお金を袋に入れておくことができる余裕は少なくとも我が家には無い。同じようなことは避難袋の中身すべてに言える。いつ食べるか判らない非常食、使わない懐中電灯、そんなものはいざと言う時にも使えない。普段の備蓄食品のうち幾らかを、電気ガスが無くても食べられるレトルト等にしておけば良い。地震のためだけに備えたものは地震の時には使えない


ネットワークでない人
 今度の地震の後も、多くの人が困っている人を助けるために被災地に入った。今も、私の周りの人でも行きたがったり、実際に行ったりしている。しかし、何の技術も持たない人が無秩序に被災地に入って人々を助けることができるのは、最初の一〜二週間だけだ。既に多くの人々が避難所に落ち着いている。自分の家から人力で持ち出すことのできるものはずいぶん持ち出している。避難所は少ないなりに役割分担をし、秩序が築かれ、行政等との関係も出来上がっている。これから必要なのは、無秩序にものや人を送り込むことではなく、秩序正しく、必要に応じて、公平に物資が分配されること、特に管理する責任を負っている人たちを心身共にフォローし、必要があれば代役を務めること、避難民の肉体と精神の健康を維持し、ストレスを解消すること、できるだけ平和に避難所を解消して行く作業を始めることである。更には重機を使った家屋の解体処理等いずれにしても、専門の能力を持った人乃至は、きちんと秩序づけられた援助体制に乗っ取った人や物の分配である。素人にできることは、管理された情報に従って行動することと、せいぜいお金を出すことだろう。素人に出る幕はほとんどない。


ネットワークの人
 被災直後に、混乱した状態から被災地の人々がお互いに救助し合い支援し合うこと、特にその日のうちに避難所に秩序を築くこと、そして、周辺地域からはできるだけ秩序だった人や物の援助を行うこと、そのためには、その時だけの組織を作っても意味が無い。行政の災害対策本部なんて言うのはその最たる物だ。上の避難袋の話と一緒で、日常生活の中で機能している組織が、いざと言う時に災害に対応した組織として機能するのでなければ、生きた対応はできないだろう。
 そのために活用できるであろう組織の一つは、地域の自治会。ただしこの自治会は近年どこの地域でも加入率が少なくなっているのが悩みの種だ。そこでもう一つは、地域全体を網羅するには弱いけれど、地域のボランティア組織、NPO。その中には平時から様々な支援活動をしている組織もある。これらの組織をもっと全国的に横につなげるような情報網を整備することはできないだろうか。その情報網自体はいつでもそんなに能動的に活動している必要はない。それこそ、Web上の掲示板だけでも良い。何か起こったとき、日本中のあらゆる組織の人が、その掲示板にアクセスできる。そこに情報を載せ、そこから情報を得ることができる。2ちゃんねるになると、ちょっと秩序が維持できないだろう。できればそれを整理する人がいるのが良いのだけれど。
 神戸の時と隔世の感があるのは、インターネットの発達だ。その瞬間に、現地の情報を聞いたり、数日のうちに現地の知り合いの動画が見れるなんて時代になるとは夢にも思わなかった。ただし、情報過多のような気がするが。


全く別の話
 原発のことは、何とも言いがたい。現地の人たちの辛さ、被曝した方の大変さは筆舌に尽くしがたい。しかし、原子力発電をすると言うことは、このリスクを負うと言うことだ。「日本の原発は事故は起こしません」等と言う台詞が嘘であることはみんな判っていると思っていた。本当に安全なんだったら、都庁の隣でも東京電力本社の隣にでも造っとけば良かったのに。