希望と現実

金賢姫氏が、拉致被害者の家族と面会したニュースが大きく取り上げられている。

米国に限らず、韓国も大統領制を採る国は、トップが変わると政策自体が大きく振れる。日本であれば「政策の継続性」とか何とか言いそうだけれど、例えば小沢さんが首相になったら(随分その可能性は下がったようだけど)、自衛隊ソマリア撤収、給付金の中止、郵政会社の見直し、くらい振れても実は何も問題がないのではないかと思う。


それはそうと、金賢姫氏が、「お母さん生きてますよ」と挨拶したことを、息子は「本当にはっきりと生きていますと証言いただき」と言っている。家族がそう受け取るのは仕方がないとしても、ニュースがそれを彼女の生存の証言であると受け取ったかのように大見出しにするのはどんなものだろうか。
金賢姫氏は「お母さんは生きています。希望を持って。」と言っているのだし、そもそも彼女が韓国によって拘束された1987年以降の北朝鮮国内の情報について新しい情報を持っている筈が無い。
彼女の「生きてますよ」という発言は、彼女と面会した家族たちが共有している(共有しなければならない、共有したい)強い希望であって、少なくとも現実についての証言ではない。現実はいまだニュートラルのままである。私たちもこの希望を共有したい気持ちは強くわかる。しかし、冷たいようだけど、この発言は、ニュースバリューはないと思う。