終風爺のところを経由して、この記事を読んで、全然関係ないけれど思ったこと。

社会の構成員は、その社会共通の価値観で結びついており、その価値観と事なる価値観を持つ集団を(潜在的な)敵もしくは対抗者と見なす。
対抗者を意識する必要がない社会は、不幸を感じないで済む。
対抗者を意識することができる社会は、不幸を克服しようとすることができる。

自分とは事なる価値観を持つものが存在することを理解しつつ、なお自分の価値観も隣人の価値観も承認することができるようにならないものかなぁ