感想文

短編小説 2008年のダライ・ラマ6世: 極東ブログ

こんどはゲンヨウ王がダライ・ラマ7世を立ててチベットに送った。その後、チベット清朝に保護されるようになった

パンチェン・ラマが実質的に漢民族に握られ、ダライ・ラマが亡命している現在、ダライ・ラマの代替わりはチベット仏教にとって致命的な事態となりそうだけれど、実は、そんなことを乗り越えて、ダライ・ラマはやっぱりダライ・ラマとなるんだろうな。

「みんなが自分の文化を大切にして生きて行ければ、そんなことはどうでもいいんだけどね」

国家が、物理的な地域とは別に、共通するアイデンティティを持つ者の総和として存在することが出来ないだろうか?
つまり、どこの地域に住んでいても、自分は漢民族だという人が中国人であり、自分はチベット人だという人はチベット人になる。中国人の意志の総和が中国という国であり、チベット人の意志の総和がチベットという国であるというふうに。
問題は鉱物資源開発だけど。