ある意味こちらも激震。なのに・・・

数日前、巡回しているあるカトリックの方のブログで、教皇の発言が波紋を呼んでるようなことを書いてあったので、何かなぁ?と思って居たのだけれど、どうやら、ベネの親分は、舵を思いっきり右に切りそうな(切ってしまった?)雰囲気。
各ニュースでは、身内の根本主義者(要は原理主義ね)との融和が目的であるということだけど、「分かれた兄弟達」としては、穏やかではない。
もちろん彼らが心の中で自分たちが唯一と思って居るのは承知の上だけど、あえて今言わなくてもなぁ。下手すると記事にある通り、第二バチカンの成果を粉砕し、先代の活躍を根底から否定して、キリスト教会は50年前に戻るのではないかと心配してしまう。
今日、司祭と会うんだけど、どんな顔して会おうかな(笑)。


それはそれとして、その日本語のニュースソースを捜そうとググッたけれど、見つかったのは、御存知東亜日報と、統一協会系の世界日報だけ。そりゃ日本のキリスト教とは1パーセントに満たないそうだけど、下手すれば、欧米を中心に全世界を震撼させかねないニュースについて、全く報道しないってのはどういうことよ、日本の報道機関よ。


と言うわけで、以下例によってソース全文

東亜日報ローマ法王、「カトリック教会だけが唯一の教会」
世界日報ラテン語ミサ典書が復活 保守色を深めるローマ法王ベネディクト16世

東亜日報

ローマ法王、「カトリック教会だけが唯一の教会」

JULY 12, 2007 03:28

ローマ・カトリック教会だけが唯一の教会で、他のキリスト教教会は欠点がある」

ローマ法王ベネディクト16世が10日、カトリック教会だけを正統キリスト教と表現した法王庁文書の公表を承認した。これに対し、改新教と正教会など他のキリスト教宗派がただちに批判し論難が起きていると、ロイター、DPA通信など外信が報道した。

法王庁は信仰教理聖省を通じて発行した同文書で、「イエス様は地上にたった一つの教会だけを建てた」と主張した。文書は、正教会に対し「ローマ法王の権利を最高とする至上権を認めない」と指摘し、宗教改革以後の改新教に対しては「真の意味で教会と呼べない」と言及した。

外信は、同日に配布された文書が、ベネディクト16世が信仰教理聖長官でいた時に作成した文書と内容が似ていると指摘した。

あちこちから批判が出た。世界改革教会連盟は「カトリックが他の兄弟教会たちと話し合おうという意向があるかどうか疑わしい」と批判した。独逸福音主義教会は「宗派間和合のための機会が再び遠のいた」と皮肉った。エジプト在来キリスト教派であるコブト教会の指導者たちは「冗談」とみなすことにした。

ベネディクト16世は、7日には、ラテン語ミサを復活させるという教書を発表し、ユダヤ人たちの反発を買った。ラテン語で進行する「トリエント・ミサ」には、ユダヤ人の改宗を促す祈祷文が含まれているからだ。

同教書に対しては、カトリック内でも「第2次バチカン公会(1962〜1965年)の改革を覆す措置」という指摘が申し立てられた。当時、公会では、「ミサを各教会がある当該地域の言語にする」という決断を下した。

ベネディクト16世は、昨年には、イスラムを暴力的な宗教として描写した発言で議論をかもした。


世界日報

ラテン語ミサ典書が復活
保守色を深めるローマ法王ベネディクト16世

 世界に十一億人の信者を誇る世界最大宗派、ローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ法王ベネディクト十六世は教会の刷新、近代化を決定した第二バチカン公会議(一九六二−六五年)のラテン語ミサの廃止、他宗派との対話路線(エキュメニズム)などの修正に乗り出してきている。同十六世はここにきてラテン語ミサの復活を承認する一方、カトリック教会が「イエスの教えを継承した唯一、普遍のキリスト教会」と宣布した教理省の文書を発表させたばかりだ。ベネディクト十六世時代に入り、カトリック教会はますます保守的傾向を深めようとしている。
(ウィーン・小川 敏)

他宗派との対話に支障も
カトリック教会の唯一、普遍性を主張

 バチカン法王庁教理長官を長く務めたベネディクト十六世は当時から「教理の番人」と呼ばれ、その信仰姿勢は保守的、根本主義的といわれてきた。ドイツ出身の同十六世は法王就任二年目が過ぎた今日、カリスマ性のあった前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の影からもようやく解放され、次第に独自色を強めてきている。

 ベネディクト十六世は今月七日、使徒的書簡「一九七〇年の改革以前のローマ・ミサ典書の使用についての自発教令」を発表した。簡単にいえば、第二バチカン公会議で廃止されたラテン語ミサ典書の復活だ。

 カトリック教会では、第二バチカン公会議前はラテン語礼拝が通常だった。しかし、教会の近代化を決定した第二バチカン公会議ラテン語礼拝が廃止されて以来、ラテン語礼拝は一般には見られなくなった。ところが、ローマ法王に選出されたベネディクト十六世は「カトリック教会の精神的糧となってきたラテン語ミサの素晴らしさを生かしたい」という希望を機会あるたびに吐露してきた。

 ラテン語礼拝の復活は同時に、カトリック教会根本主義勢力「兄弟ピウス十世会」との和解をも意味する。同十六世は法王就任直後、ルフェーブル派の「兄弟ピウス十世会」の現リーダー、ベルナール・フェレイ司教と会談するなど、ラテン語ミサの復活に向け水面下で交渉を進めてきた経緯がある。

 フランスのマルセル・ルフェーブル枢機卿が創設した聖職者グループ「兄弟ピウス十世会」はラテン語の礼拝を主張し、第二バチカン公会議の決定事項への署名を拒否する一方、教会の改革を主張する聖職者を「裏切り者」「教会を売る者」として激しく糾弾してきた。ルフェーブル枢機卿は当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の強い説得を無視し四人の聖職者を法王庁の許可なく任命したため破門を受けている。ルフェーブル派の復帰が実現するならば、イスラム教との対話や教会内の改革派グループとの関係が一層悪化することは避けられないだろう。

 バチカン法王庁教理省は十日、「教会についての教義をめぐる質問への回答」と題された文書を発表した。同文書については、教理省(前身・異端裁判所)は「教会に関するカトリック教会の教義を明確にし、承認できない解釈を拒否し、超教派の対話を継続していくための価値ある指示」と説明している。通称、「教会論」と呼ばれる内容だ。第二バチカン公会議ではカトリック教会以外の教会にも「真理が含まれている」と認めるとともに、カトリック教以外の他宗教も神と一体化できる、などの内容が記述されている。だから、今回の教理省文書はカトリック教会の「教会論」を明確にする狙いがあるわけだ。

 簡単にいうと、イエスの教えを直接継続した弟子ペテロを継承するカトリック教会こそが唯一、普遍の「イエスの教会」という教義は不変であり、前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世時代の「ドミヌス・イエズス」(二〇〇〇年)でも再確認されてきた内容だ。カトリック教会から見るならば、プロテスタント教会は「イエスの教会」ではなく、「教会的団体」ということになる。

 同文書が公表されると、予想されたように、プロテスタント教会から激しい反発がわき上がってきた。簡単にいうと、「お前の教会は本当のキリスト教会ではない。だから、イエスから継承されていない教会は聖職者を叙階する資格はない」と罵倒(ばとう)されているのに等しいからだ。

 それに対し、バチカンの「キリスト教一致推進評議会」議長のヴァルター・カスパー枢機卿は十一日、「教理省の文書は何も新しいことを述べていない。カトリック教会の教会に関する教義に何も変化はない」と説明する一方、「われわれはプロテスタント教会が教会でないとは主張していない。イエスの教えを継承するカトリック教会のような唯一性、普遍性を持った教会ではない、という意味だけにすぎない。もちろん、プロテスタント教会も教会である点で変わりない」と弁明している。

 問題は、カトリック教会の「教会論」に立脚して、他宗派との対話、キリスト教会の再統一は可能かという点だ。

 教理省のジョゼフ・アウグスティン・P・ディ・ノイア次長は「対話は相手の見解に歩み寄ったり、間違った譲歩をすることではない。それぞれが自身のアイデンティティーを明確にしてから対話を始めるべきだ」と述べ、教理省の今回の文書を「カトリック教会のアイデンティティー宣言だ」と述べている。

 ラテン語ミサの復活には教会内でも懸念を表明する改革派聖職者が少なくない一方、教理省の教会論については「分裂したキリスト教会の再統一を妨げる最大の障害は真理の独占を主張する頑迷なバチカンにある」といった反発の声が他宗派から既に出ている。しかし、信仰の絶対主義を標榜(ひょうぼう)するベネディクト十六世にとって、それらの反発は既に織り込み済みだろう。ローマ・カトリック教会はベネディクト十六世時代に入り、確実に保守的傾向を深めようとしている。

(本紙掲載:7月17日)