歴史が必修である理由

他人のブログのコメント欄に突っ込みを入れるというのも失礼な話だけれど、直接書き込むのも他人の庭でバタバタするようで、これはこれで失礼かなと思うので、自分のところに引っ張ってきます。
 例の高校生の必修科目見履修の問題について、最終弁当先生のところに現役高校生と大学の先生がコメントしてました。

コメントの本文は下に引用しましたが、要は高校生は、高校の勉強は入試のためと思っているし、大学の先生は、高校の勉強は学ぶ技術を習得するためと言ってます。
でも先生、それなら先生が書く通り、J−POPの歴史でも、パソコンの使い方でもイイじゃないですか。どうして世界史日本史なんでしょう。
以下、高校がほぼ義務教育と化しているという前提で書きますが、学校教育というのはそれを終えた後の人生における社会常識を身に付けるためのものであると思います。理系だろうがなんだろうが、カノッサの屈辱とは何かとか、保元・平治の乱とは何かとか、そんなことを少なくとも「あー聞いたことがある」程度にでも全国民が知っている事が日本の社会を作る上での前提になっているから、世界史とか日本史が必修になっているのではないでしょうか。
自分たちが、日本史世界史の流れの上に立っていることを理解していない・理解させていないから、意義を見いだせないのではないかと思います。

# dolphincocoa 『はじめまして。現役の高校生です。
知っていらっしゃることかもしれませんが一応思ったことを。
履修問題のことですが、実際の入試では東大京大ぐらいしか指導要領どおりに社会科2科目勉強する必要はないのです。
そんなわけで去年2科目やってるときも、「なんで2科目やってるんやろ〜」って思いながらやっていました。(多分「受験勉強のため〜」はこういう理由だと思うのですが。特に理系は。
世界史の先生は「2科目やると、歴史がよく分かるぞ〜」って言ってましたが、政治・経済の先生は「こんな歴史やってもしょうがないのにね。(受験のためとかではなく)」とも言ってましたが。
どうなんでしょう。実際。よく分かりません。』

# hnami 『 はじめまして。大学側の人間です。
 ものを考えるには、考えるための言葉が要ります。「頭が良い」だけでは論理的な文章や言葉が組み立てられないのです。世界史に出てくる言葉を知らない人が増えてきて、たしかに困ることがありますし、知らない人に合わせることで知っている人に申し訳ない、と思うこともあります。
 いちばん大切なのは、わからないことを調べようという前向きな気持ちです。たくさん覚えているほど、知りたいことを短い時間で調べられるチャンスが大きくなりますから、そういう意味では世界史だってJ-pop事情だって、人生の武器になるかもしれません。どうせ高校で習うことだって、大学で習うことだって、人生の勉強としては足りないのです。私たちの若いころにはパソコンがなかったので、みんな大学を出てから仕方なくパソコンを覚えました。みなさんが10年後、ひいひい言って覚えることが、なにかあるはずです。そのときに役に立つのは、過去の勉強だけではなく、勉強方法への知識や、勉強したという自信でしょう。
 大人に悪気はないのですが、大人は所詮他人です。記憶力の働く時期はもう長くないはず。それをあなたは何に使いますか。そういう「したたかさ」こそ、生きる力の基本だと思います。』