昨日の流れで

裁判って制度について、「何が起こったか事実を解明する場である」とか、「犯人に真実を語らせる場である」とか、「被害者の心情を癒す場である」とか考える人が多いような気がする。


でもそれって違うんじゃない?
私は法律は門外漢だけど、聞きかじっていることから判断すると、「被告人に対し、正当な手続きを踏むことで最大限加ることが出来る量刑を確定する」だけ。「真実が何であるか」とか、「実際に何が起こったのか」とか、「被告人の気持」とかは、直接の関係を持たない。そう見えるものは実は単に「論理的正当性をもって認定できることは何か」であったり「被告人に更生の可能性が観られるか」である。
だから、特に被害者が、裁判を通して「被害者感情」を癒そうとする、ないしは裁判所がそれを目的の一つとするというのは、間違いではないか?


後もう一つ、裁判の機能として、「個別の事例が生じた際、従前の法制度が正当であるか判断するきっかけとする」機能が加わるのかどうか。私は加えられるべきだと思うけれども、最近の死後認知の裁判結果を見ると、裁判所はその権利を放棄しているように思う。


なお、「法廷戦術の披露」の場でないことは確かだ。