首相の話とか

切込隊長のところで、日本版ポリティカルコンパス(ドラフト3)を見つけたのでさっそくやってみた。
まあ、当然と言えば当然のことながら、

政治的な右・左度(保守・リベラル度) -1
経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派) -2.78
あなたの分類は リベラル左派です。

とのこと、そのリベラル左派の戯言ですので、お聞き流し下さい。

首相の年頭会見。直接聞いたわけでなくて、ニュースなどで所々を聞いただけだけれど、「相変わらずやってるなぁ」って感じ。のように

首相年頭会見 私たちこそ理解できぬ

 これほど理解力が足りない人が、内閣総理大臣を続けていたのだろうか。

とも思わない。彼は首相になる前からああいう人だった。
彼は

一国の首相が、一政治家として一国民として戦没者に感謝と敬意を捧(ささ)げる。精神の自由、心の問題について、政治が関与することを嫌う言論人、知識人が批判することは理解できない。

と言うが、そこで彼が(おそらく)意図的に無視しているのは、問題が、平和を願う意図ではなく、その方法だということ。
どんなに崇高な目的であっても、そしてその実現方法として自分が正しいと確信していても、その方法が正しくない、目的に則していないと判断する人がいる場合、そのことを配慮する必要があるのではないだろうか。彼は(おそらく)意図的にその部分を無視して、「目的が正しく、方法も(自分が判断するかぎり)正しいので問題はない」と言うのだ。
もちろん、政治家は政治家として、自分の判断するところを実行することは必要である。彼が支持されるのはその実行力なのだし、最初から彼は靖国に参拝することを公言していたのだから、その点においては、彼を選んだ日本国民が悪いということだろう。
ただ、わたしが、彼について判らないのは、「反対する人がいるのは判る、しかしわたしは自分の確信するところを貫く」と言わず、「反対する人がいることが理解できない」と言うことだ。意図的に無視しているんだろうと思うけれど、そこに何のメリットがあるのだろうか?
その点では、今日の朝日社説 首相年頭会見 私たちこそ理解できぬ - finalventの日記のコメントも、ちょっと不満。少なくとも日本人の中にこう考えている人が(少なからず)居るんじゃないのかなぁ。