進化論について(引用ブロックの練習)

日本人と進化論: 極東ブログから。

山本七平が進化論をネタに日本になぜキリスト教が定着しなかったのかということをいっている。曰わく。

山本 その例として、こんなおもしろい話があるんです。つまり天皇ファンダメンタリストがあれば、進化論を否定しなくちゃおかしいですよね。天皇がサルの子孫であるというのは容認できないでしょう。あれは神の子孫のはずでしょう。
小室 ところが誰も問題にしない。
山本 そればかりか不思議なことに、戦争中、平気で進化論を教えているわけですよ。

と、日本人が国家神道という宗教と矛盾するはずの進化論と言う科学を抵抗なく受け入れていたことを取り上げ、

 進化論は科学のはずである。人々はそれを科学だから信じたのであろうか。
 これは少々考えにくい。というのは当時のさまざまな事例は、日本人が決して科学的ではなかったことを示している。
 これはことによったら、日本の伝統的な宗教的世界観・人間観に、何かの点で進化論とマッチする考え方があり、その宗教の延長線上で進化論を受け入れて、それを科学だと信じたということではないだろうか。

と指摘し、

 日本における伝道の障害になっているものは、おそらく「科学」と言いかえられた「何らかの宗教的なもの」なのである。

と結論付けている。
自分としては、それほど目新しくもなく、むしろ当たり前の話だった。
無神論者だと言い「非科学的」なことを信じないと言う日本人が、如何に宗教的なモノの見方をすることか。


ところが、トラックバックとコメント欄を見て唸ってしまった。

進化論が神と対立するのは神が造物主であるばあいで、日本の神道にその教えは(殆ど)無いから

シャーマニズム信仰に基づく宗教観ならば、もともとそんなことで思い悩んだりしない

(1)最初というものは分からない。ただし、人間のルーツをたどっていくうえで、それが変化してこなかったとは考えにくい、人間以外のもの(猿なり動物なり)から変容してたまたま言葉を話し道具を使う人間というものに自分は生まれた。
(中略)
(1)は輪廻的世界観です。

古事記は単なるお話として解釈していた

そもそも天皇=現人神という考え方自体、明治維新後、
もっといってしまえば昭和の一時期にしか存在しなかった、元々日本人に馴染まない考え方

そもそも日本神話は完全なファンタジーではなく、
部分的に史実を基に構築した昔話

何だかみんな投げちゃってるんだ。日本神道は人間が何処から生まれたか教えていない。日本神道は神(含、天皇)とは何者であるかを教えていない。日本神道はその教えるところを受け入れることを求めていない。
それでいいのか。

私は、宗教や科学ってのは、その人のものの見方を包括的に規定するものであると思っている。だから「私がキリスト教徒です」と言うのは、「自分は絶えず『キリスト教的』にものを見ますよ」って宣言していることだ。もちろん、常にキリスト教的雰囲気がプンプンと漂う言動をしているわけではない(と思う)けれども。同様に、科学だって、ものの見方、価値観、生き方と関係ないことはありえない。進化論なんかまさに哲学であると言ってよいもので、進化論を信じてますってのは、その哲学的な背景を含めて受け入れている。その価値観の中で生きているって言う事。
米国なんかのキリスト教ファンダメンタリスト達は、彼らの世界観の基盤となるキリスト教信仰が、進化論の教える世界観と矛盾するから、あれだけ激しく攻撃しているんであって、あれを「非科学的、妄信的」って笑う日本人の感覚が判らない。もちろん、キリスト教徒の中にだって進化論を信じている人は山ほどいて、それはその人たちがキリスト教の世界観と進化論の教える世界観が相容れるものであると考えているから。

普通の日本人が、ここからここまでは宗教、こっからこっちは科学、って棲み分けをしているようで、実は、何でもかんでも山本の言う「日本教」の枠でものを見ていること、それが無自覚であるがゆえに、無批判で、排他的であることを改めて感じちゃいました。

最後に余計なことを。
2005-10-03 - 絶叫機械+絶望中止さん

 ついでだからキリスト教的な科学の見方について。

その背後には、「科学」ないしは「学」なら信ずるかもしくは敬意をはらうが、宗教なら軽蔑するか問題にしない、といった心的状態があるように思われた。

 こういうのを見ると、何でファンダメンタリスト創造論をIDとか言って科学気取りなのか、の謎が解けそうな気がします。一神教の信者にとって、理解することと信じることには差がない、だから「科学」と名がつけば皆信じると思っている、っていい証拠なんじゃないか。サンプルひとつだけでひどいこと言ってますけども。

よく文意が汲み取れないのですが、山本が「学なら信ずるが宗教なら軽蔑する」と指摘しているのは、キリスト教徒のことではなく、日本人のことですよ。ファンダメンタリストの肩を持つわけではないですが、彼らも「科学」と名がつけば皆信じると思っている」なんて思っていないですヨ。
読み間違いだったらゴメンナサイ。


※追記

では、なぜ日本では定着しなかったか?
これは私見ですが、宗教指導者の資質と時代的背景ではなかったかと思います。
・・・
それに対し、キリスト教は優れたエヴァンゲリストをザビエル以後送れず、時期を逸してしまったと言わざるを得ません。

グサァ。キッツゥ。