ちょっと遅くなりました2

例によってお隣り機能であちこち見て回ってるのだけれど、思ったことを。
ただし、バラバラと見たので、何処に何が書いてあったかは忘れた。TBはしない。

公的、私的は記号でしかない。

阪高裁の判決で、秘書を伴い、公用車で出かけたことが公的と見做される理由とされていたが、それについて、「首相は私的に行動するときも秘書を伴う必要があるのではないか」と言う指摘がされていた。それを言ったら、首相はどんなに私的に行動しているときであっても公人として見られることを意識し、実際に公人として対応せざるを得ないことがある。プライベートでゴルフに行っていて危機管理を疎かにした前任首相が良い(悪い?)例である。
要は、首相が公人であるか私人であるかというのは、単なる記号でしかない。実質のところは何も変わらない。だから、歴代の首相は、記名するときに肩書を外したり、玉串料はポケットマネーとか言ってた筈。小泉首相は、その「記号」が意味がないと主張したのだから、困っちゃうんだな。
小泉さんのおかげで、靖国の議論が実質の部分に踏み込んだのかもしれないけれど、いわば日本的な知恵で曖昧にしていた話をぶち壊してくれちゃったのだから。

他宗教を攻撃したいのではない

宗教かがこの裁判の原告となっていることについて、他宗教を攻撃し、かえって信教の自由を阻害するものではないか。と言う批判がある。でもそうではない。訴える人たちは、要は、日本国内閣総理大臣を自分たちの代表、つまり、自分の意志が(一億二千万分の一であっても)反映する存在として理解している(筈)。その自分の意志の集約であるはずの存在が自分の意志とは異なる宗教活動をすることに違和感を覚えているだけ(の筈)である。
もちろん、靖国公式参拝に反対するのであれば、当然のことながら、逆に首相が自分たちの宗教施設で宗教活動をするときもそれを止めなければいけないというのは当たり前のことで、「靖国参拝をやめてウチに参拝してくれ」なんて言うことを言う人はいない(筈だ)



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