自分と他人

のつづき。
 昨日、青森だかの労働組合か何かの人が、青森の最低賃金で一ヶ月実際に生活してみるってのをやっていた。最低賃金で生活せざるを得ない人がいることを知って、「自分もその立場になるかもしれない」と考えるのは「サヨク」と言うこと。「ウヨク」であれば、自分だったらそんな立場に甘んじることなく、こんな風に工夫して、その生活から脱するはずだ。と考える訳。

で、我田引水な話になるけど。(ってか「我田引水」の用法が違う?)
この二つの立場は、どちらも悪いわけではない。どちらが優れているわけでもない。更にいうならば、どちらも、キリスト教から出てきた考え方である(断言!)。

サヨクは、まさに「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39)から来ている。イエス自身が、自分がその立場にないにも関わらず、人間の立場に立って下さったのである。

ウヨクは、ちょっと難しいけれど、例えば、「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザヤ43:4)がそうだろう。神は十把一絡げに人類を見ているのではなくて、「あなた(=わたし)」に、特別の価値を見いだしているというのである。
このあなたが、単数形でなく複数形、ないしは、自分だけでなく他人に向いていると考えればサヨクとつながるんだろうけれど。。。