大横綱

横綱を産むためには、家庭の幸せなど望んではいけないということだろうな。って事は、一代年寄も、離婚、家庭崩壊へと向かうのが必定というところだろう。

相撲取りってのは異形の人なわけで、大木や巨岩に神が宿るように、普通の人とは違う大きさ力強さに神が宿るわけで、その神が宿った者同士の勝負に、神の意志が顕れ、禍を退ける力が生じる。これがそもそもの相撲の意味。だから、とにかく強い者が一番な訳で、横綱は強いと言う理由だけで、周囲を従わせることが出来る。そこに、心とか人格を求めちゃダメよ。もちろん、心が伴って初めて最強であるという意味では、心も鍛えなければならないのだけれど、人格者であることとか、品があることが、求道者であることが、横綱の条件であるかのように考えたら、それは、手段を目的化している。人格も、品も、道を求め続けることも、強くなるための手段。とにかく強ければ、後はどーでも良い。「立場が人を作る」しね。
その意味では朝青龍は、横綱らしい横綱って事だろうな。
横綱に品や格を求めた花田さんちの次男は、ちょっと勘違いしてるって事だ。


なお、この欄の理屈は全くいーかげんな屁理屈ですから、苦情を言われても困るし、マジでとらないように。